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岡山地方裁判所 昭和59年(ワ)643号 判決 1988年7月20日

原告 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 岡本貴夫

被告 小坂勉

右訴訟代理人弁護士 藤本時義

被告 国立市

右代表者市長 谷清

右訴訟代理人弁護士 市橋千鶴子

同 中園繁克

主文

一  被告らは、各自、原告に対し金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和五九年五月一九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

三  この判決第一項は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

主文と同旨の判決並びに仮執行の宣言。

二  被告ら

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との判決。

第二当事者の主張

一  原告の請求原因

1  身分関係

原告は、亡甲野一郎(以下「一郎」という。)の母である。

2  交通事故の発生

一郎と訴外山田雅久(以下「山田」という。)との間に、次の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した。

日時 昭和五九年五月一八日午前八時五〇分頃

場所 東京都国立市北一丁目一三番地先のガード下道路上(このガード下を含む道路を以下「本件道路」という。)

態様 一郎が自転車(以下「原告車」又は「原告自転車」という。)に乗り、本件道路を南から北に向かって道路左側の路側帯を進行中、折から同路側帯を対向して来る歩行者(和田秀一)があったためこれを避けようとした際、一郎の右後方から進行してきた山田運転の普通貨物自動車(多摩一一せ一三二一、以下「被告車」という。)が一郎に接触し、その衝撃で路上に転倒した一郎は被告車の左後輪に頭部を轢かれて即死した。

3  被告小坂の責任事由

被告小坂は、本件事故当時、被告車を所有しこれを自己の運行の用に供していた。したがって自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条に基づき賠償責任がある。

4  被告国立市の責任事由

(一) 本件道路は、市道として被告国立市に管理責任がある道路である。

(二) 本件事故は、被告車の運転者山田の過失とともに被告国立市の次のような道路管理上の瑕疵が原因となって発生したものである。

すなわち、事故が発生した本件道路は、僅かに約五メートルの幅員しかなく、しかも一時間に約八〇〇台の車両交通量があるにもかかわらず、当時、歩行者や自転車の保護施設はなく、かねてから危険が指摘されていた所である。

それゆえ本件事故後、立川警察署長は、被告国立市に対して、

①歩行者や自転車の安全確保のため、近くに専用のガード(トンネル)を掘ること

②当分の間、道路の両側に設けられている路側帯を片側だけにしてその幅員を広げ、鉄製のガードレールでなくゴム柱で区切ること、

という改善申し入れをしている。

前記のような本件道路と幅員と交通量からすれば本件事故のような交通事故が発生することは容易に予見できることであり、かつ、その予防措置は容易に執りうるところであるから、被告国立市としては、右改善申し入れを待つまでもなく、立川警察署長が申し入れたような安全対策を講じるべきであったのに、これを怠り、これが本件事故発生の原因をなしていることは明らかである。

なお、路側帯の設置管理は東京都公安委員会の責任に属するとしても、事故発生の危険性が高い以上、道路管理者である被告国立市は、無関心であってはならず、東京都公安委員会に対してしかるべき是正措置を求めるべきであり、そのためには「道路の管理者が道路の維持修繕その他の管理のため工事又は作業を行うときは、協議すれば足りる」(道路交通法八〇条)のであるから、本件道路につき、両側の路側帯を片方だけにして広げることを協議すべきであったと言わなければならない。

したがって、被告国立市には、国家賠償法二条一項に基づき損害賠償義務がある。

5  損害

本件事故により一郎及び原告に生じた損害は次のとおりである。

(一) 一郎の逸失利益 三五三四万二三三八円

一郎は本件事故当時一八歳の男子であったから、その就労可能年数は四九年であり、男子労働者の全年齢平均給与額は一か月三二万四二〇〇円であるところ、これから生活費として五割を控除すると、その月額収入額は一六万二一〇〇円となる。

以上を計算の基礎として、前記就労可能年数に対応するライプニッツ係数一八・一六九〇をもって中間利息を控除し、一郎の逸失利益の事故発生時の現在額を算出すると、頭書の金額となる。

(計算式) (162,100×12)×18.1690=35,342,338

(二) 一郎の慰謝料 三〇〇万〇〇〇〇円

(三) 原告の慰謝料 一〇〇〇万〇〇〇〇円

原告は、一郎の父親である甲野太郎と昭和五一年五月二六日離婚し、その後八年間にわたり一郎の成長を楽しみに、女手一つで世の荒波と戦いつつ一郎を育てあげた。原告にとって、一郎を失ったことは生きる支えを失ったも同然であって、その被った精神的打撃は計り知れないものがあり、原告固有の慰謝料として一〇〇〇万円が相当である。

(四) 葬儀代等諸雑費 五一〇万七九〇八円

本件事故後原告が後始末のために要した費用、一郎の葬儀・供養等に要した諸経費である。その明細は別紙のとおり。

6  相続関係

一郎は、前記のとおり事故当日の昭和五九年五月一八日死亡したが、同人の法定相続人は母原告と父甲野太郎の両名であって、両名において一郎が被告らに対して取得した前記(一)逸失利益及び(二)慰謝料に関する損害賠償請求権を各二分の一ずつ相続したので、原告の相続債権額は一九一七万一一六九円となる。

7  損害の填補

原告は自賠責保険からこれまで一〇〇〇万円の支払いを受けた。

8  原告の債権残額

以上により原告が被告らに対して現在有する損害賠償債権額は、前記相続分一九一七万一一六九円と自己固有の慰謝料、葬儀代等一五一〇万七九〇八円との合計三四二七万九〇七七円から、自賠責保険による填補額一〇〇〇万円を差し引いた二四二七万九〇七七円となる。

よって原告は、被告らそれぞれに対し、右のうち一〇〇〇万円、及びこれに対する本件事故日の翌日である昭和五九年五月一九日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する被告らの答弁

1  被告小坂勉

(一) 請求原因1(身分関係)を認める。

(二) 同2(交通事故の発生)のうち「一郎の右後方から進行してきた」とある部分を争い、その余は認める。

(三) 同3(被告小坂の責任事由)のうち被告小坂が本件事故当時被告車を所有し自己の運行の用に供していたことは認めるが、賠償責任は争う。

(三) 同5(損害)を争う。原告の主張する損害額はいずれも高額に過ぎて失当である。一郎及び原告に生じた損害額は、次の金額を越えるものとはなりえない。

(1) 逸失利益

一郎は、当時一八歳で、事故が発生した昭和五九年に武蔵野音楽学院に入学したばかりであったのであるから、その就労収益は満二〇歳以降の四七年間とみるべきであり、ライプニッツ係数は一六・三〇九三(一八・一六八七―一・八五九四)となるから、仮に原告主張の年収額を認めるとしても、その逸失利益の事故時点の現在額は三一七二万四八五〇円、原告の相続額はその二分の一の一五八六万二四二五円にとどまる。

(2) 慰謝料

独身未成年男性死亡の場合の慰謝料は、一般に行われる算定基準に照らせば、死亡した本人の分と遺族固有の分とを合わせて一二〇〇万円を限度とすべきであるから、原告が取得する債権額は相続分を含めて六〇〇万円を超えることはない。

(3) 葬儀費用

葬儀費用は、定額算定の原則により七〇万円をもって相当とする。

(四) 請求原因6(相続関係)は知らない。原告の相続額を争う。

(五) 同7(損害の填補)は認め、利益に援用する。

(六) 同8(原告の債権残額)を争う。

2  被告国立市

(一) 請求原因1、2、並びに5以下についての答弁は、被告小坂の答弁と同旨であるから、これをここに引用する。

(二) 請求原因4(被告国立市の責任事由)のうち、(一)の本件道路が被告国立市の管理する市道である点は認めるが、同(二)の本件事故が道路管理上の瑕疵に起因して発生したことをいう主張事実を争い、被告の責任を否認する。

(1) 事故当時の本件道路と付近の状況は、乙第一〇号証添付の「現場見取図」に図示されているとおりである。すなわち、事故が発生したガード下部分の道路幅員は四・五五メートルで、両側に路側帯が設けられており、事故発生地点である西側路側帯の幅員は一・〇五メートルとなっていた。

そして、本件道路は、北側の十字路交差点と、南側の丁字路交差点と、右丁字路の西方国電国立駅前ロータリーからの進入口とに、それぞれ設けられた信号によって、交互一方通行の交通規制が行われている。

(2) 原告は、本件道路について、かねてから危険が指摘されていたと主張するが、そのような事実はない。本件道路における交通死亡事故は本件が最初のケースであり、それまで被告国立市と立川警察署との間に毎月四回程度行われている交通安全に関する打合せの席上でも、本件ガード下が危険地点として話題になったことは一度もない。また、警察署から被告国立市に対し特別に安全対策について指示あるいは相談があったということも全くない。

被告国立市は、本件事故発生後の昭和五九年五月二三日、立川警察署から、「a・路側帯を片側に寄せる。b・路側帯を示す白線上にチャッターバーを設置する。c・ガード下の入口のところに街路灯を設置する。」との指示を受けたので、直ちにその作業を完了した。しかし、それ以上の指示等は受けていない。

(3) 原告は、被告国立市が本件ガード下における路側帯を事前に改善しなかったことを強調し、ここに道路管理の瑕疵があったかにいうが、そもそも本件道路の路側帯は前記信号などとともに、道路交通法四条、同法施行令一条の二第四項二号に基づき昭和四四年に設置されたもので、その設置管理の責任は東京都公安委員会にあって被告国立市にはない。

しかも、立川警察署の方では、本件道路の両側に路側帯を設ける方式は、前記法令に基づくもので最良の方法であると自認していた。そして、同警察署の説明によると、本件事故後路側帯を片側に寄せたのは、「今般、試みとして」行ったものにすぎない。

ちなみに、原告は、道路交通法八〇条を引いて、被告国立市が本件道路の路側帯の改善に関して東京都公安委員会と協議し対策を講じるべきであったというが、同法条は、道路交通法上のものではなく、道路の管理者が道路において工事もしくは作業等をする場合に関する、道路交通法七七条の特例を定めたものであり、本件事故に関係する路側帯等の設置義務に関するものではない。

(4) 本件道路には事故当時からアスファルト舗装が施され、交通の障害となるべきものは何ら存在しなかった。

以上のとおりで、被告国立市には、本件道路の設置又は管理について瑕疵はない。

(三) 本件事故の発生原因について

本件事故は、専ち一郎の不注意に基づくものであることは、被告小坂が主張するとおりである(後記被告小坂の抗弁参照)。

若干付言すれば、一郎は普通自転車で路側帯内を通行していたのであるから、歩行者の通行を妨げないような速度と方法で通行しなければならず、歩行者の通行の妨げになるときは一時停止しなければならない義務があった(道路交通法一七条の二第二項、六三条の四第二項)。しかるに一郎はこれを怠り、前方から歩行してきた和田秀一を避けるため、被告車と並進中であるにもかかわらず、無謀にも、とっさにハンドルを右に切って被告車に接触したのである。これは自殺行為とも評すべきものであり、また、自ら義務違反の行為により事故原因を一方的に作出したものと言わなければならない。

これに対して、被告車の運転者山田は、前車の荷台の箱に視界を遮られて左前方の路側帯を歩行してくる和田秀一を見ることはできなかったのであり、仮に前車との車間距離を取ることにより和田を発見できたとしても、自車の後方から走行してくる自転車が本件で一郎がとったような無謀な右転把をすることまで予想すべき義務はない。一郎が法令に従って運行してくれること(一時停止してくれること)を信頼して運転すれば過失はなく、一郎の急転把行為によって生じた本件事故は、山田にとって回避策をとる余地のない、不可抗力のものである。

右のような一郎の自損事故というべき態様からしても、本件事故が被告国立市の道路の設置又は管理と法的関係を有するとは到底言えないことが明らかである。

三  被告小坂の抗弁

1  被告車の無過失等

(一) まず本件事故の発生状況についてみると、以下のとおりである。

(1) 山田は、被告車(ダンプカー)を運転し、国立駅前ロータリー方面から直前を先行する被告小坂所有の二台のダンプカーに追随して東へ走行し、乙第一〇号証実況見分調書添付の現場見取図(以下単に「現場見取図」という。)の①地点付近で、アの地点を自転車に乗って、イヤホーンでウォークマンを聴きながら同方向に進行する一郎を追い越し、同図②地点で左折して北進した。左折後は、前方の車両が渋滞していたため、時速約二〇ないし二五キロメートルの速度で、直前車との車間距離を約三メートルに保ったまま北進を続けた。

ところが、同図④地点で、初めて被告車左側面の中程(ガソリンタンク)辺りにガチャガチャという異物の接触音を感知したので、直ちにブレーキをかけて停車し、下車してみたところ同図file_2.jpg点に一郎が倒れていたのである。

右の状況からすれば、file_3.jpg点付近で被告車に追い越された原告車は、交通渋滞のため被告車が速度を落として進行している間に、本件ガード下南入口付近で被告車に追いついてきたものと解される。

(2) 関係証拠によれば、原告車と被告車とは二回にわたって接触したものと解される。

その第一次接触は被告車の前部バンパーと原告自転車の右ハンドルのブレーキレバーの先端とが接触したもので、その接触地点は、見取図の×点である。この×点は、ガードの南入口から北へ〇・七五メートル入った所の、西側壁面から東側に一・三五メートルの地点であり、歩道(その幅員は一・〇五メートル)と車道を分かつ白線の東側(車道内)〇・三メートルの位置である。

第一次接触については、被告車の運転者山田は一貫して全く気付かなかったと供述しており、後に原・被告車に残された接触痕等から警察によって認定されたのであるが、山田がこの第一次接触を感知しなかったというのは、バンパーもブレーキレバーの先端も共にある程度の弾性があること、その接触というのも擦過程度であると認められることからすれば、なんら不思議ではなく、山田の供述に思い違いや虚偽はないと思われる。とすれば、原告車は第一次接触の後に被告車の左側面中央付近に再び接触したと解さざるをえない。これが、山田のガチャガチャという接触音を感知した第二次接触である。

第一次接触によって原告自転車は操縦の自由を失い(軽い接触であっても操縦の自由を奪うには十分である)、第二次接触を惹起したと解すればすべてが矛盾なく理解できるのであり、第二次接触によって一郎は自転車からウ点に落下し、自転車は左前方に跳ね飛ばされたと推定される。

ただ、第二次接触地点がどこであるかを正確に確定することはできないが、現場見取図の×点とウ点との間のウ点を含むいずれかの地点と推定される。

(3) 右接触が起こった時の、被告車及び原告車それぞれの走行していた位置について検討してみると、被告車は、その車体の左側端が前示白線の内側(東側車道内)に〇・三メートル入った部分を終始白線に平行に進行し、白線に接近したことはなかった(乙第一〇号証、証人山田及び同和田の証言)。

これに対して、原告自転車は、前記×点において、その右ハンドルブレーキレバーが被告車に接触したこと、同自転車のハンドル幅が〇・四九メートル(乙第一〇号証)であることからすると、計算上白線よりも約五・五センチメートル車道内に入った所を走っていたとき、被告車に接触したのであり、本件事故の唯一の目撃者である和田秀一の証言もこれを明白に裏付けている。

(4) 本件事故発生の時点で、被告車が先行する原告車を追い越そうとしていたのか、被告車の後方にいた原告車が被告車を追い越そうとしていたのか、それとも本件ガードの入口よりかなり前から両車が並進していたのかは、必ずしも明らかでないところがある(なお、山田は現場見取図の②点から③点に至るまでの間もバックミラー等で左後方の視認を心がけたが、①点で見た以降は自車の前後に原告車を確認していない)。

しかし、和田証言によると、被告車がガード下に入るころかその手前を進行していたときに、原告車が被告車とほとんどすれすれの状態で並行して走っており、その時の原告車の位置は被告車の真ん中より後ろであったというのであり、右目撃状況が第一次接触前のものであったとすれば、被告車の真ん中より後ろにいた原告車が被告車の前の部分まで前進して第一次接触を起こし、それから後退して第二次接触を起こしたことになる。

また、右目撃状況が第二次接触の直前の状況であったとすれば、被告車がガード下に入る手前ころに原告車と並進していて第一次接触を起こし、その後原告車が後れて目撃時の状態になったということになるはずである。しかし、この場合には、第一次接触地点はガード下に入る前の地点となって、第一次接触地点を×点とした前記認定と矛盾する結果となる。

(二) 以上に基づいて、原告車と被告車との接触の原因と双方の過失について考えてみると、本件事故は専ら一郎の過失によるもので、被告車の運転者山田に過失はないと言わざるを得ない。

(1) 本件接触の原因は、原告車が歩道と車道の境界線を越えて車道内に入り、被告車に接近して進行したことにある。もし原告車が境界の白線を越えず、左側の歩道上を進行していたならば、被告車との接触は起きなかったことは明らかである。

一郎にとって右側直近を被告車が並進していることは十分認識していた、あるいは認識できたことであるから、一郎は白線の左側歩道上をできるだけ壁側に寄って進行すべき注意義務があるのに、対向してきた歩行者和田秀一を避けようとしたのか、聴いていた音楽に夢中になって周囲の危険な状況を認識しなかったのか、その他の理由によるのかは判然としないが、いずれにしろ右義務に違反して、左に寄るどころか反対に被告車に接近するという異常で危険な行動に出て、本件事故を自ら招いたのである。そして、一郎のこの過失は、ほんの少しの注意を払えばたやすく危険を予見でき、かつ、容易に回避できる性質のものであるから、極めて重大な過失と言わなければならない。

(2) 他方、被告車は前示白線から内側(車道側)へ約〇・三メートルのところを直進しており、原告車の方に積極的に接近したことはなかった。

なるほど、山田は、原告車の接近を確認せず、接近する自転車との接触を回避するため進路を右に寄せるとか、一時停止して自転車の通過を待つ等の措置を取らなかったことは事実であり、これらの措置を取っていれば両車の接触は起きず本件事故は発生しなかったということも明らかである。

しかし、本件においては、山田が原告自転車を視認しなかったこと、更に右に寄って進行しなかったことなどは、なんら注意義務違反を構成する事実とはなりえず、本件事故の発生とは相当因果関係がないことである。なぜなら、原告車が歩道上を正常に進行していたならば、被告車は車道内を直進していたのであるから、山田が、原告車を視認していなくても、また、前記のような措置をとらなくても本件事故が発生する余地はなかったからである。

そして、被告車の運転者は、本件のようなガード下を通過するときは、側方を通過する自転車等が、安全に通行可能な歩道内を通行せず、歩道と車道を分ける白線を越えて車道内に入り、走行中の自車に接近して進行するという異常で危険な行為をすることが十分予測できるような特別の事情がない限り、そのような異常な進行方法を予測してこれに備え、常にもっと右に寄って進行するとかガードの入口で一時停止する等の措置をとるべき注意義務はなく、側方を並進する自転車等が自車に接触しないよう適切な行為にでることを信頼して運転すれば足りると言わなければならない。

(3) 本件において原告は、被告車に徐行義務違反があり、更に接触した時直ちに制動しなかった過失があり、これが一郎の死亡を招いたと主張する(後記原告の主張参照)。

しかし、被告車は直前車との間に約三メートルの間隔を保ち同一速度で追従して本件ガード下に進入したものであって、いわば現場の交通の流れに乗っており、付近を通行していた者もそれを現認しそれを前提としてそれぞれ通行していたのであるから、被告車の運転者にのみ卒然として最徐行を要求するのは不当であり、それこそかえって現場における交通の流れを乱し、その安全と円滑を損なうものである。

そして、山田は第一次接触については何も感知していないのであるから、その時点で同人に急制動を期待することはできず、制動措置が期待できるのは、第二次接触の時点である。

そこで、第二次接触に気付いたとき、山田が急制動していたら、左後輪で一郎を轢過するという結果を回避できたか否かを検討してみるに、それは不可能というほかない。

すなわち、第二次接触地点は、前述のとおり見取図の×点とウ点との間で、ウ点を含むその手前付近であると解され、一郎が自転車から路上に落下したのは第二次接触の直後と推認されるところ、×点とウ点との間は僅かに約一・九メートルしかないことが計測推定できる。

そして被告車が時速約一〇キロメートルで進行していたとしても、その停止距離は、空走時間を一秒とし、摩擦係数を〇・五五とした場合、三・四七八(二・七七八+〇・七)メートルであり、時速五キロメートルとしても一・五六九(一・三八九+〇・一八)メートルである。

してみると、被告車が最徐行し、かつ、第二次接触後に急制動したとしても、一郎の轢過を避けることはほとんど不可能であったことが推認できるのである。

そもそも、側方を進行する自転車等と接触することが十分予測される等の特別の事情がない限り、車道内を直進している被告車の運転者としては、車体左中央部の下辺りに軽微な接触を感知したとしても、直ちに急制動して停止すべき義務はない。

以上の検討によれば、本件においては、第一次、第二次の接触を生じた後においては、その後の結果を回避することはほとんど不可能であったこと、すなわち被告車の徐行義務違反あるいは急制動の遅れを問題にする余地のないことが明らかになったはずである。

(4) そして、本件事故を避けるためには、第一次接触を起こさないようにすることこそ決定的に重要であったのであり、その原因をつくった一郎において総ての責任を負うべきである。

2  構造上の欠陥等の不存在

被告車には、本件事故の原因をなすような構造上の欠陥又は機能の障害はなかった。

3  過失相殺

仮に被告小坂について免責が認められないとしても、右にみたとおり本件事故の発生は一郎の重大な過失が原因をなしており、その過失割合は八割を下ることはないから、損害賠償額の算定に当たっては当然右過失が考慮されるべきである。

四  抗弁に対する原告の答弁と被告らの主張に対する反論

1  抗弁事実のうち本件道路付近の客観的状況は争わないが、本件事故について被告車が無過失であること、反面一郎に過失があることをいう主張を否認する。

2  被告車の運転者山田に、以下に指摘するような過失があることは明らかである。

(一) 被告車が原告車に追突接触したことについて

被告小坂は、被告車と原告車との間に二度の接触があったとして、第一次の接触部位は被告車の左前バンパーと原告車の右ハンドルのブレーキレバーとであり、第二次のそれは原告車と被告車の左側面中央付近とであると言う(被告国立市もこの主張を援用している)。

この主張事実は、とりもなおさず、原告車が被告車と並進したのち被告車を追い越そうとした可能性を否定し、原告車が被告車に追突したことを示すものと言わなければならない。

被告車が先行していたのであれば、一郎は並進状態になるまでには当然被告車に気付いていたはずであり、誰とても、これに気付けば左に寄り、車間を開けて並進し又は追い越すのが当然である。

しかるに、原告車と対面歩行していた証人和田秀一によれば、原告車が左側に寄るなどしたことにより身の危険を感じることは全くなかったというのであって、原告車は本件道路の南側にある丁字路交差点付近で信号等による渋滞のため後れた被告車を追い越し、本件ガード下では被告車に先行していたからこそ、後進の被告車に気付かぬまま白線上辺りを進行し、和田に危険を感じさせなかったものと認められる。

そして、被告車が原告車に追いついてきてこれを追い抜くときに、原告車の右ハンドルに接触し、同車の運転操作の自由を奪い、本件事故に至らせたのである。

被告が、二回の接触を認めることは、被告車の追突を認めるものであり、本件事故の責任が一〇〇パーセント被告車にあることを認めるものにほかならない。

(二) 山田の過失について

(1) 本件接触の原因は、第一に、被告車の運転者山田が先行する二台の同僚車に後れないことにのみ注意を奪われ、先行していた原告車に全く気付かなかったことにある。これは、自動車運転者として基本的な注意義務の違反である。

すなわち、被告車の運転者山田は、本件事故当時、荷台に制限積載量を超過する土砂を積み、国立市内の民家にこれを搬送していたが、その正確な搬送先を聞かされていなかった。そのため、先行する同僚車両に後れ、あるいは他の車両に間に割り込まれてこれを見失うことは、自己の行き先を見失うことになるため、山田は、同僚車両の直後を走ることにのみ気を奪われていた。殊に、本件道路の南側丁字路交差点では、先行の同僚車は青信号で余裕をもって左折したが、被告車が同交差点に近接したとき信号が変わり、被告車はそのまま進行することを幾分ためらったためか、同交差点を過ぎたとき、先頭の二台との間に間隔を生じていた。更に、本件道路の北側には十字路交差点があって、同僚車を見失う危険があった。

こうした事情で、山田は同僚車との間の距離をあけず追従することにのみ専念し、周囲の交通情況に注意を払わなかったため原告車を見落とし、その動静に注意することができなかった。もしこの注意義務を怠らなかったものなら、前記丁字路交差点から本件ガード下入口までの間は、幅員は広く明るかったのであるから、原告車を看過するということはありえなかったはずである。

(2) 次に、被告車には徐行義務違反がある。本件ガードの入口には道路標識によって「最徐行」の指定がある。しかも、被告車は当時最大積載量を少なくとも二トンは越える土砂を積載し、それだけ制動装置が効きにくい状態にあったのであるから、通常以上に慎重に徐行すべきであったのに、これを守らなかった。

仮に山田が最徐行を厳守し、原告車と接触したとき直ちに制動操作をしていれば、原告車が転倒することはあっても、一郎が死亡するまでには至らなかった。被告車の徐行義務違反が一郎の轢死を招いたことは明らかである。

(三) 一郎の過失に関する主張について

(1) 被告小坂は、原告車が事故当時白線より五・五センチメートル車道内に入って走行したとして非難するが、進路上に対向する歩行者があり、衝突の危険があれば、原告車が車道上を走行するのはやむをえない処置である(なお被告国立市は、一郎が「走行者を避けるため、無謀にも、とっさに右転把した」と主張するが、それを裏付ける証拠はない)。

これに反して、被告車は、原告車に後れて本件事故現場に至り、かつ、原告車を避けても容易に走行できる余幅があったのであるから、原告車の動静に注意しつつ進行するか、警笛を吹鳴するか、又は自ら制動して原告車に危害を及ぼすのを避けるべきである。被告車は原告車を追い越そうとしたのであるから、その注意義務は原告車に比してはるかに高いといわなければならない。

(2) 被告らは、一郎がウォークマンをつけて原告車を運転していたことをその過失原因であるかのように指摘するが、それと本件事故とは因果関係がない。

本件事故について、一郎に過失を認めるべき余地はない。

第三証拠関係《省略》

理由

一  請求原因1(原告の身分)及び同2(交通事故の発生、ただし被告車が「一郎の右後方から進行してきた」との点を除く。)については、当事者間に争いがない。

二  被告小坂の責任について

被告小坂が、本件事故当時、被告車を所有しこれを自己の運行の用に供していたことは当事者間に争いがないが、同被告は、本件事故は専ら原告車に乗っていた一郎の過失に基づくもので、被告車の運転者山田にはなんらの過失もなく、また被告車には本件事故と因果関係があるような構造上、機能上の欠陥はなかったとして、自賠法三条に基づく賠償責任を争うので、この点について判断する。

1  本件事故現場と付近の状況

《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。

本件道路は、国鉄(当時)中央線国立駅南口ロータリーから国分寺市内藤町に通じる道路(以下これを「東西道路」という。)を、同駅から約一〇〇メートル東に行った所にある丁字路交差点と、その北方約六四メートルの所にある国立市北一丁目の十字路交差点とを結ぶ南北に通じる道路で、本件事故現場は、そのほぼ中間地点にあって中央線の線路下をくぐるガードの中である。

本件ガード下道路部分の全長は約九・五メートル、全幅員は四・五五メートルで、本件事故当時は、東西両路端に白色ペイント線をもって標示された路側帯が設けられており、その幅員は西側一・〇五メートル、東側〇・七〇メートル(したがって、車道幅員は二・八〇メートル)であった。道路の両側は、コンクリート側壁となっており、ガードの南北各入口の上部には、通行車両に対面して「制限高三・〇M」の表示板が掲げられ、また、その更に上の線路脇鉄柵には「最徐行」の標識板が掲げられている。

本件道路を通行する車両に対しては、このガード下部分で道路幅員が狭小であるため、南北の交差点等に設けられた信号機によって、時差式交互一方通行が指示されている。

その他事故当時の本件道路とその周辺の状況の詳細は、別紙「現場見取図」とその説明書きに表示のとおりである(別紙「現場見取図」は、判示の便宜のために、乙第一〇号証中の図面を転写したうえ、当裁判所において、読み取りにくい点を若干補修したものである。以下これを「見取図」という)。

2  事故発生前後の情況

《証拠省略》を参酌すると、次のとおり認められる。

(一)  一郎が乗っていた原告車は、スポーツタイプの二六インチ型普通自転車で、車長一六〇、ハンドル幅四九、ハンドルの地上高八九、サドルの地上高九四センチメートルである。

また、山田運転の被告車は、車長五七六、車幅二〇七、車高二四二センチメートル、車両重量三七五〇、最大積載量四〇〇〇、総重量七九一五キログラムのいわゆるダンプカーで、タイヤの直径は前後輪とも八〇センチメートル、後輪はダブルタイヤとなっている。

(二)  被告車の運転者山田は、当日、同僚車二台と共に日野市内で被告車に庭土を積み込み、これを本件事故現場から一〇分までの所にある民家に運搬していたものであるが、その詳しい行き先を聞かされていなかったため、同僚車二台に後れないように追随し、東西道路を国立駅前ロータリー方面から東進し、前記丁字路交差点を左折して本件ガード下に至った。

同人は、その道中の東西道路上で、一郎が自転車(原告車)に乗り、携帯用ステレオカセットテープレコーダーのイヤホンを耳に付けて自車の進路左前方を自車と同じ方向へ進行しているのに出会い、これを追い抜こうとしたが、原告車との間に十分な間隔がなかなか取れず、やむなくしばらく原告車の後を進行し、丁字路交差点の約五四メートル手前の見取図①点でアの原告車を追い越した。

そして、丁字路交差点に差し掛かったとき信号が青から黄に変わるところであったが、そのまま同交差点に入り、見取図②の辺りで前車の動きが鈍ったのに対応して一時停止し、その後平均時速二〇キロメートル前後の速度で本件道路を進行していたところ、見取図④の地点に至って被告車の車体左側面中央部分(ガソリンタンクの辺り)にガチャガチャという異音を聞き、引き続いて何か異物を轢いた感じがしたのでブレーキをかけ、同⑤点で一郎が路上に倒れているのをバックミラーで確認し、見取図⑥点に停車して下車した。

(三)  一方、死亡した一郎は、そのころ勤め始めて間もないアルバイト先である東京都港区赤坂九丁目のタバタ音楽事務所に出勤する途上で、国立市西二丁目の住居から乗車駅である国立駅までの交通に利用していた自転車を同駅北口にある無料自転車置場に置くため本件道路を通行していて事故に遭った。

事故直後の一郎は、見取図のとおり、ウ点に頭部を置き顔面を東向きにして車道と路側帯とを区分する白線上にこれに沿うようにうつぶせに倒れ、口及び頭部から血液及び脳が直径三五センチメートルの円形に流出して白線上に及んでおり、即死の状態であった(その他の身体、着衣の損傷状況を明らかにしうる証拠はないが、一郎の死因は頭蓋骨粉砕骨折による脳挫傷で、その死亡時刻は医師により受傷から三〇分後と推定されている)。

また、原告自転車は、事故の際被告車に当たった衝撃で西側へ跳ねられ、折から反対方向から西側路側帯を南に歩行してきた和田秀一の右膝にペタル部分が当たったのち、上部を南東向きにして一郎の倒れた真横辺りの路上に転倒した(見取図には自転車エがウ点の左前方に記録されているが、《証拠省略》によれば、自転車の転倒地点はウ点よりもむしろ南寄りと認められる。)

(四)  事故後の警察による実況見分の結果、原告車については、右ハンドルブレーキレバーの先端に被告車の塗料が付着していること、原告車の左側地上高約五〇センチメートルのところに取り付けられている網篭が内側に曲損し底部が外れていること、被告車については、左後ろダブルタイヤの内側のタイヤ左側に長さ三センチメートル、幅五センチメートルの血液付着があること、左前輪のフェンダーカバー上縁部に原告車のブレーキレバーの先端が接触したと認められる痕跡があることなどが検証された。

3  事故発生の原因

本件においては、事故発生の態様ないし原因の解明につながる客観的な事実関係は、ほぼ以上認定したところに尽きる。

そこでこれを基礎として、本件事故がどのようにして発生したのか、ひいて責任事由に関する当事者双方の主張のいずれに理があるのかについて、考察することとする。

(一)  接触部位の接触地点について

前示認定事実によれば、原告車の右ブレーキレバーの先端と被告車の左前部フェンダーカバーの縁とが接触したこと、これをきっかけに原告車はふらついて転倒し、同時に路上に転落転倒した一郎の頭部を被告車の左後輪が轢過したことは、まず間違いのないところであり、この点については当事者間に別段争いがない。

その接触地点については、乙第一〇、一一号証の実況見分調書では、事故直後及び翌日実施の警察の実況見分に際して、被告車の運転者山田が、見取図の×点(本件ガードの南入口から〇・七五メートル北へ入った地点)で接触したと指示したことになっているのに対し、証人山田雅久は、接触それ自体について全く気付かなかったと言い、実況見分調書の記載は警察官の認定したところを不合理な点がないので承認したにすぎない旨供述していて、必ずしも判然としない。しかし、右実況見分調書には粗略な点が多々あるものの、実況見分を実施した警察官が接触地点を自ら判定する痕跡等があったという証拠はなく山田の指示がなければこれを特定することは困難ではないかと思われること、本件での証人山田の証言は事故発生から丸二年を経過した後のもので総体に記憶が薄れていると認められること、その他轢過地点の位置(同地点は、見取図の縮尺率によって測定すると×点から約三・五メートル北へ入った所と認められる)、一郎が原告車の操縦の自由を奪われて路上に転落するまでの時間、被告車の車長、速度等を総合勘案すると、接触地点は×点の辺りと推認することができる。

この接触を生じたときの、原被告双方車両の走行位置であるが、轢過地点が白線の内側一〇ないし二〇センチメートルと認められていること(この点は、路上に露出した血液、脳が白線に掛かっており、その広がりが直径三五センチメートルの円形を成していること、白線の幅が約一〇センチメートルであるという公知の事実から推認できる)、血痕が付着していたのは被告車の左後輪内側のタイヤで、外側のタイヤではないが、血痕の大きさに照らして、外側のタイヤで頭部を轢過したとしても内側のタイヤに血痕が付着することはありうること、証人山田が被告車はガード下を「直進した」と述べていることなどからすれば、接触当時被告車が走行していた位置は、左外側のタイヤが白線の内側(東側)へ一五ないし二〇センチメートル入る位置であったと認められる。

そして、《証拠省略》によれば、被告車の車体はタイヤの外側端から一〇センチメートル弱くらいはみ出していることが認められるから、原告車は、そのハンドルの幅員からして白線の五ないし一〇センチメートル内側(西側)を走行していたとき、被告車と接触したものと推認される。

以上の認定を左右するに足る証拠はない。

(二)  原告車、被告車の先後関係について

さて、本件事故の責任原因を究明するうえで最も重要な意味を持つのは、被告車が先行する原告車を追い抜こうとした際に両車の接触が起こったのか、その逆の際の事故か、それともしばらく並進している際に起きた事故かという点である。

本件において、この点を直接明らかにしうる証拠はない。すなわち、被告車の運転者である証人山田雅久は、見取図①点で原告車を追い越して以来本件事故の発生に気付くまでの間、全く原告車に気付かなかったと供述しているところであり、事故現場に通り合わせた証人和田秀一の証言も一瞬の目撃状況を語るものにすぎない。

そこで、間接事実を手掛かりとして、経験則なり条理に基づいて判断するほかないが、次のようなことが考えられる。

(1) 《証拠省略》によれば、ア点を東に進行していた原告車が本件ガード下に到達しうる経路は、被告車が進行した経路以外にないことが認められる。その経路の状況からみて、原告車は、丁字路交差点の信号に影響されることなく同交差点を左折して本件ガード下に至ったと解されるところ、《証拠省略》によれば、被告車はア点を進行中の原告車を時速二〇キロメートルくらいの速度で追い抜いたというのであり、出勤途上の自転車の一般的な速度を勘案すると、原告車の速度は時速一五キロメートルくらいかそれを若干上回るものであったと推認できる。

見取図で明らかなとおり、ア点から本件ガード下南入口までの距離は八四メートルであるから、原告車がその間を時速一五キロメートルで進行したとすると、その所要時間は二〇・一四秒、被告車がその間を時速二〇キロメートルで進行したとすると、その所要時間は一五・一三秒で、その差五秒ということになる。すなわちこれは、ガード下南入口で両車がほぼ並進状態となっている事実からすれば、被告車は丁字路交差点内の②点で一時停車し、更に同地点を発進する前後に四、五秒を要したことを意味することになるが、この四、五秒という時間は納得できる時間といわなければならない。

してみると、原告車は被告車が②点でもたついている間に被告車に追いつき(計算上、原告車は被告車に二、三秒後れて丁字路交差点に到達したと解される)、更に同所で被告車を追い抜いたということになり、後れた被告車がガード下南入口付近で再び原告車に追いついてきたことが推認できる。

(2) 証人山田雅久は、被告車は②点でほんのわずかの時間一時停止したのち、直前を速くなったり遅くなったりしながら平均時速二〇キロメートルくらいの速度で走行する同僚車に追随し、直前車との車間距離を常に三メートルくらいに保って本件ガード下に進入した旨供述しており、また《証拠省略》によれば、事故直後の実況見分に際し山田は、警察官に対し、自車が見取図②地点のとき前車の位置はA、自車が③地点に進行してきたとき前車の位置はBであった旨の指示説明をしたことが認められるが、右証言及び指示説明と、同証人の「事故に至るまで原告車に全く気付かなかったし、直前車に視界を遮られて和田が歩いて来ていたこともわからなかった」旨の証言とを総合すれば、原告車の方がガード下入口付近に至るまでの間に被告車に追いつき、又はある程度の区間を被告車と前後して進行したのち、ガード下に入った見取図×点辺りで被告車の左前部と並進する状態にまでなって接触した可能性が出てくる。

しかし、右山田の証言あるいは指示説明(以下単に「山田証言」という。)には、にわかに信用できないものがある。その理由は次のとおりである。

a 証人和田秀一によれば、和田は国立駅北口でバスを降り、同駅南口にある勤務先に行くため見取図左端寄りの歩道を東に歩き、十字路交差点に面する株式会社コイズミ電機の角を南に右折し、本件ガード下に至って本件事故に遭遇したものであるが、コイズミ電機前を多少過ぎた地点、遅くともガード下北入口までの間に、トラック二台(被告車の同僚車)が連なって時速約二〇キロメートルの速度でガードをくぐって来るのを目撃し、これが通過して自分がガード下に入る手前ころか入ってからかに、ガード下南入口に差し掛かる付近を、少し後れて来た被告車と原告車とがすれすれの状態で平行して進行して来るのを見たというのである。

右証言は、意識的に見ようとして見ていた目撃状況に関するものではないから、目撃した自他の地点特定等については必ずしも正確なものではないと思われるが、少なくとも被告車と直前を進行していた同僚車との位置関係に関しては、供述内容に照らして信用することができる。

しかして、右証言によれば、山田証言と違って、本件道路走行中の被告車とその直前を走行していた同僚車との間には少なくとも二〇メートル以上の間隙があったと認められ、ひいて被告車は見取図②点を発進する際同僚車に少し後れたため、むしろ速度を上げぎみに一気に本件ガード下に進入したことを窺わせる(ちなみに、証人山田はガード下に入るに際しても速度を落とすというようなことは全くしなかったと供述している)。

そうだとすれば、原告車がガード下入口付近で被告車に追いつき追い抜こうとしたいうことはまずありえない。

b また、前述したとおり原告車は被告車が丁字路交差点にいた時点で被告車に先んじたとしか考えられないところ、《証拠省略》によれば、同交差点から本件ガード下及び更にその北方への見通しは極めてよく、山田が進路前方左右への注視を怠っていなかったなら、原告車を見落とすことはあり得ない状況にあることが認められる。また、《証拠省略》によれば、被告車の運転席は、前方左右への見通しを妨げるような飾り等はなく、正常に保たれていたことが認められる。

証人山田雅久は、本件道路を進行中、視界にはいる限りは前方左右のみならずバックミラーによって後方への注視も怠らなかったように供述しているが、それにも拘らず、山田が事故の発生するまで原告車に気付かなかったということは、不自然不合理というほかなく、かえって、同人が同僚車との距離が開いたためこれに後れないことにのみ心を奪われ、周りを通行する人や車両は見ても見えない心理状態にあったことを窺わせる。

したがって、原告車に全く気付かなかったという山田証言から、原告車が本件ガード下入口付近において被告車より先行していたことがない、と結論づけることはできない。

c 仮に原告車がガード下入口付近で被告車に追いつき、これと並進し又はこれを追い抜こうとしたとすれば、一郎は、敢えて自ら被告車に接近して走行し、その結果被告車に接触する愚を犯したことになる。しかし、これは被告小坂の言うとおりまさに異常な行動であって、経験則からすれば通常ありえないことと言わなければならない。

思うに、自転車に乗って通行する者にとって、その傍らを接近してダンプカーが走ること自体接触の恐怖にさらされることであって、状況が許す限りは十分な車間を保持したいと考えるのが常である。また、一郎には、進入しようとする本件ガード下の路側帯を対面歩行してくる和田のいることは、ガード下に入る前から分かっていたとみなければならない。したがって、直ちに接近歩行を余儀なくされ身を危険にさらさなければならないことを承知しながら、同人が、敢えて、狭いガード下で被告車と並進し又はこれに先んじようとしたとは到底考えられない。ガード下に入る前の時点で速度を調節して被告車をやり過ごしたはずである。

本件では、原告車と被告車とはガード下南入口から一メートル足らず進入した地点(見取図×点付近)で接触していると認められることさきに判示したとおりであるが、一郎は、むしろ、被告車に先行していたからこそ本件ガード下に特段の配慮を払うことなく進入し、かつ、対向してくる和田の歩行を妨害しないために路側帯内の右寄りの位置を進行したと解するのが自然である。すなわち、同人は、後方から被告車が接近して来ていることには気付いていたが、たとえ同車がガード内で自車を追い越すとしても自車との間に安全な間隔を保持してくれるものと信頼していたから、ガード下入口で速度を調節するとかガード下路側帯のコンクリート側壁寄りに進行するとかの配慮をしなかったとみるべきであろう。

なお、一郎は本件事故当時携帯用テープレコーダーのイヤフォンを耳に着けていたが、これが被告車の接近していることを認識する障害になり、無謀なハンドルの右転把を誘発したとは認めがたい。

(3) 以上を要するに、本件事故は、被告車が本件ガード下南入口を一メートル足らず入った地点で被告車に先行していた原告車の傍らを追い越す際に発生したとみることができる。

なお、証人和田秀一は、事故発生の直前ころ被告車と原告車がすれすれの状態で並進してくるのを見たとき、原告車は被告車の左中央部より後ろの方を走っていたと思う旨供述しているが、同証人によれば、それは瞬間的な目撃の記憶に基づくもので、その前後を見た記憶はないというのであって、右供述に余り重きを置くことはできず、両車の先後関係に関する右認定を左右するものではない。

4  被告車の過失と被告小坂の責任

以上の考察によれば、本件事故の発生について被告車の運転者山田には過失がなく、事故は専ら一郎の過失に起因するとは言いがたい。

むしろ、山田が前方左右への注視義務を怠り、原告車を追い越すについて同車との間に十分な安全間隔を取らなかったことが事故の原因をなしているとみなければならない。また、本件ガード下は道路幅員に余裕がなく接触の危険性が高いにも拘わらず、これに進入するに当たって減速徐行するなどの安全配慮をしなかったことが、被害の拡大に影響していることも否定できない。

これに対して、一郎に過失の存在を認めるに足る証拠はない。さきにも触れたとおり、ガード下入口から一メートル進行するかしないのうちに接触しているということは、同人は右後方から進行してくる被告車は、自車との間に安全な間隔を取ってくれると信頼し、かつ、すでに数メートル先に歩行してきている和田とのすれ違いに支障のないようにあらかじめ路側帯内を右に寄って、被告車より先にガード下に進入したことを窺わせるのであって、その進行方法に非難に値するものは認めがたい。

被告小坂のみならず被告国立市も、一郎がガード下に進入後突然右にハンドルを切り、又は車道にはみ出して進行したとして一郎の過失を言うが、そのような事実を認めうる証拠はないばかりか、本来は自転車と言えども、路側帯と車道の区別のある道路においては、車道を通行しなければならないのであり(道路交通法一七条一項本文)、著しく歩行者の通行を妨げることとなる場合を除いて、路側帯を通行することができる(同法一七条の二第一項)にすぎない。

また、本件ガード下の路側帯(被告小坂はこれを「歩道」といっているが、道路交通法上の歩道ではない。)は、同法六三条の四にいう道路標識等により自転車が通行することができる歩道でもないから、同条二項を引いて一郎がガード下入口で一時停止しなかったことをいう非難も当たらない。

以上のとおりで、被告小坂の抗弁は証明がないから排斥を免れず、同被告は自賠法三条に基づく損害賠償責任を免れることはできない。

三  被告国立市の責任について

1  本件道路が被告国立市の管理する市道であることについては、当事者間に争いがない。

2  本件道路の交通情況等

本件道路の幅員、本件事故当時の車道と路側帯の区分の物理的外形的状況等については、すでに考察したとおりであるが、《証拠省略》によれば、

本件道路は、中央線によって分断される南北両市街地を結ぶ道路としては、国立駅に最も近い南北道路で、主に付近住民の生活道路として利用されているが、甲州街道が混雑するときは府中街道への迂回路として利用する車両も少なくないこと、

本件事故後本件道路は車両通行止めの措置がとられたが、実況見分時又は通行解除後(事故当日の午前一〇時三〇分過ぎころ)に警察官が計測したところでは、いずれも三分間に、歩行者約一〇人、自転車約五台、車両約一五台であったこと、

本件ガード下における死亡交通事故は本件が初めてであるが、自転車と自転車、歩行者と自転車との接触事故などは時々あり、利用者はかねてから通行の危険を感じていたこと、

本件事故後、立川警察署及び被告国立市によって、本件道路の両側の路側帯を西側だけに寄せてその幅員を広げ、路側帯と車道を画す白線上にチャッターバーを設置し、ガード下南北各入口に水銀灯を設置するなどの改善が図られたこと、

以上の事実が認められ、右認定を左右する証拠はない。

3  道路管理上の瑕疵の存否

以上の事実に基づいて、本件事故が被告国立市の道路管理の瑕疵によるものか否かを検討する。

(一)  ところで、国家賠償法二条一項の定める営造物の設置又は管理の瑕疵とは、物理的外形的な物的状態において当該営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいうが、この安全性を欠いているか否かの判断は、当該営造物の構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して個別的具体的に決すべきものである。

また道路の安全性については、道路法が、「道路の構造は、当該道路の存する地域の地形、地質、気象その他の状況及び当該道路の交通状況を考慮し、通常の衝撃に対して安全なものであるとともに、安全かつ円滑な交通を確保することができるものでなければならない。」(二九条)、「道路管理者は、道路を常時良好な状態に保つように維持し、修繕し、もって一般交通に支障を及ぼさないように努めなければならない。」(四二条一項)と定め、道路管理者に対して、道路の構造を保全し、又は交通の安全と円滑を図るため、道路標識等の設置を義務付け、あるいは通行を禁止し又は制限する権限を付与している(四五条以下)ところである。

(二)  これを事故当時の本件道路についてみると、次のようにいうことができる。

(1) 本件ガード下道路の車道幅員は最大限二・八メートルであるから、被告車のような車幅が二・一メートルにも及ぶ車両が車道の中央を通行するときは、両側の路側帯との間にわずか三、四〇センチメートルの余裕しか残らないことが明白である。ちょっとしたはずみで、車道側へふらついたり倒れかかってくる自転車や歩行者があるときは、回避の余地なくこれと接触し、又は轢過する危険性は相当高い。

進行している普通自転車は直進安定性に欠けるから、その側方を自動車が通過するとき保つべき安全間隔は、速度にもよるが最低一メートル前後を必要とすると言ってよいであろう。そうだとすれば、本件ガード下の車道と路側帯の構成は、通行車両にとって路側帯付近の通行者との間に安全間隔の保持ができない、又は保持することが極めて困難なものであることはいうまでもない。

また、幅員の狭い東側の路側帯はもとより、事故の発生した西側路側帯でも、その幅員は一メートル余りしかないから、歩行者と自転車が通常に進行しながら路側帯内で安全円滑に交差することは困難であり、それが自転車と自転車の場合はもはや不可能である。

更に路側帯内を通行する歩行者や自転車にとっては、ガード下トンネルは九・五メートルの長さがあるのに車道側には歩行者等のための防護施設はなく、片側は逃げ場のないコンクリート壁であるから、車両の運転者が少し運転を誤ると、場合によれば本件のような事故に遭う危険がある。

こうして当時の本件ガード下道路は、その物理的、機能的状態においてすでに安全かつ円滑な通行を確保するものではない、といわなければならない。

しかも、本件道路は人口密度の高い市街地の中の幹線生活道路である。前記事故後に計測されている交通量は、本件事故の発生とこれに伴う交通遮断の影響を受けて平時より少ないことが考えられ、《証拠省略》中の朝日新聞の記事が一時間当たりの車両通行量を八〇〇台と記述していることからすると、時間帯によっては自動車、自転車、歩行者それぞれに大量の交通があったと認められるから、本件のような交通事故が発生する危険は多分に潜在していたことが明らかである。

(2) およそ道路は、その性質上道路が開設され供用が開始されたときの利用情況が継続することはありえない。したがって、道路の管理者としては、路床、路面の修繕といった構造の保全にとどまらず、利用情況の変化に対応して、できるだけ早く交通の安全と円滑を確保するに足る拡幅、歩車道の分離、諸種の交通規制その他の改善策をとるべき義務があるといわなければならない。道路法が道路管理者に対して、そのような義務を課していることは前示法条から十分読み取ることができる。そして、管理者がこの義務を怠るときは、管理の瑕疵が道路そのものの構造的瑕疵に転化する可能性もある。

また、市街地にあって一般公衆の交通の用に供される道路は、老若男女を問わず、また健常者だけではなく精神的肉体的に障害のある者も利用する。交通法規を順守して通行する者ばかりとも限らない。したがって、道路の管理者は、こうした社会生活上通常予測されるような通行者と交通方法に対応してなおかつ安全と円滑を確保しうる道路状態を保つのでなければ、管理義務を尽くしたとはいえない。

本件ガード下道路が右のような対応性及び安全性に欠けることは多言を要しないところであって、自動車が交通、運搬の手段として一般化し、その反面、歩行者、自転車の交通の安全が脅かされるようになって久しいのに、被告国立市が本件道路を右のような状態に放置してきたところに管理の瑕疵を認めることができる。

(3) 被告国立市は、本件のような事故が初めてであること、従前から立川警察署と被告市との間で定期的に持たれてきた交通安全に関する打ち合わせの席上でも、本件ガード下が危険箇所として話題にのぼったことはなく、本件事故以前に警察署から改善勧告等を受けたこともないことなどを主張して責任を否認する(《証拠省略》によれば、立川警察署がかねてから本件ガード下道路を危険とみて被告国立市に対しトンネルの拡幅その他の改善を申し入れていた可能性は強い)。

仮に、主張のとおり、本件事故に至るまでそのような申し入れは一切なかったとしても、またこれという程の事故が発生しなかったとしても、すでに判示したところから明らかなとおり、本件ガード下については、本件事故のような重大な交通事故が発生することは容易に予見できたところであるから、被告国立市としては、他からの改善申し入れを待つまでもなく、管理者として自らの責任において対応改善策を講じるべきであったと言わなければならない。

(4) 被告国立市において事故の発生を回避するための対応策を取りうる余地がなければ、同被告の責任を問うことはできないが、本件道路については、本件事故後取られたような路側帯の付け替え等の改善策を始めとして、抜本策としてトンネルの拡幅、歩行者・自転車専用のトンネルの開設のほか、通行車両の規制その他種々の方法がありうる。

もとより、対応改善策の種類によっては行政上、財政上多大の負担を伴うこと、したがってその実現にはかなりの時間と困難がつきまとうことは明らかであるが、そのことをもって管理責任を免れることはできない。しかも、被告国立市の主張に照らしても、本件事故以前に、同被告が本件道路における交通量の増加とこれに伴う危険の増大に対して対応努力をしていた証跡は見当たらない。

(5) しかして、先に検討した本件事故の態様に照らせば、被告国立市が、以上に考察してきたような道路管理者としての義務を尽くしていたなら、本件事故の発生がなかったことは明らかと言わなければならない。

したがって、被告国立市は国家賠償法二条一項に基づく損害賠償義務がある。

四  損害について

1  損害算定の基礎となる事実

《証拠省略》によれば、一郎は、父甲野太郎と母花子(原告)との間に、昭和四一年二月七日出生したが、一郎が二歳にならない間に両親が不仲となって離別し、以後原告によって養育され、本件事故が発生した年である昭和五九年の春、岡山市内の私立関西高等学校商業科を卒業したのち、かねてからの念願であった音楽の道を志して武蔵野音楽学院に入学し、国立市内に居住するようになったことが認められる。

2  損害額の算定

当裁判所は、以下のとおり認定する。

(一)  一郎の逸失利益 三五三四万二三八八円

この点については、事故当時の賃金センサスその他に照らして、原告の主張を理由あるものと認める。

なお、一郎が音楽学院在学中であることを考慮し、満二〇歳以降について収益があるものとして逸失利益を算定するというのも、一つの方法であるが、原告の主張は学歴平均の賃金収入を基礎としていること、もともと逸失利益の算定は不確実な将来について、一定の蓋然性を基礎に算定するしかないものであることを考慮すれば、原告主張の算定方法によっても別段不合理不都合はない。

(二)  一郎の慰謝料 三〇〇万〇〇〇〇円

(三)  原告の慰謝料 一〇〇〇万〇〇〇〇円

原告と一郎との長年にわたる母子だけの生活歴にかんがみると、本件事故によって一郎を失った原告の心の痛手がどれほど大きいかは推察に難くないところであって、原告の主張額は理由がある。

(四)  葬儀費用 一〇〇万〇〇〇〇円

《証拠省略》によれば、原告は一郎の葬儀関係費用として五〇〇万円に近い金額を支出したことが認められるが、本件事故と相当因果関係がある損害としては、一郎が自宅を遠く離れていたため通常以上の出費を要した点を考慮しても、右金額をもって相当とし、原告主張額のうちこれを越える部分は理由がない。

なお、原告はほかに後始末のために要した諸雑費を主張し、一部については理由があると認められるが、後述のとおりその子細を判断する必要がないので、認定を割愛する。

3  相続と損害の填補

《証拠省略》によれば、一郎の相続人は原告と甲野太郎の二人だけで、両名において法定相続分に従って相続したことが認められる。

したがって、原告は、一郎の逸失利益及び慰謝料の二分の一、一九一七万一一六九円と、自己固有の損害一一〇〇万円の合計三〇一七万一一六九円の損害賠償債権を、被告らに対して取得したことになる。

そして、右のうちこれまでに自賠責保険から一〇〇〇万円が填補されたことは当事者間に争いがない。

4  原告の債権額

以上によれば、原告が被告らに対して現在有する債務残額は、右に認定した損害費目の限度で、すでに本訴請求額を越える二〇一七万一一六九円とこれに対する事故の日から完済までの民法所定の遅延損害金ということになるから、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求は全部理由がある。

五  よって、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 香山高秀)

<以下省略>

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